バリー・L・ダンカン マーク・A・ハブル スコット・D・ミラー著 児島達美 日下伴子訳(2001)「治療不能」事例の心理療法-治療的現実に根ざした臨床の知- 金剛出版
再読。刊行は20年以上前ながら、私にとっては今も古びず読むたびに発見がある(もちろん刊行以降の治療発展もみられるため、今ならまた別の事例が取り上げられる気もする)。ここで示される臨床の知は、理論的立場を超え共通項があると感じる。
さて、臨床実践の中ではどう工夫しても、お互いどう足掻いても、セラピーが行き詰まることはある。申し訳なさと責任性による痛みを感じ、頓挫してしまったケースはいつ思い返してもひりひり胸が痛む(その何倍もクライエントが痛みを感じているだろうことは言わずもがな‥)。どれだけ時間が経っても例えば20年以上前のやりとりでもありありと蘇り、いつでも一言一句その場面が再現できる。
治療やセラピーに関して、セラピストが自身の技能を批判し、またセラピストがクライエントの方の困難性に原因帰属させるのは簡単なことだ。外からそれらを後付けで評価することも容易だろう。
コスト効率とクライエント満足度にさらされる我々にとって(※)、この書にもあるよう「治療不能」の法則を変えることは現代的で切実な課題でもある。
話は少し逸れるが、セラピーの効率性について。労働・産業という自身の活動領域上、バンドエイド治療的に関わることが多く実際回数制限の設定もよくある。が、〝効率的治療とクライエントが達成したものの深さや幅との間にほとんど相関関係がない(27ページ)〟とも本著では記される。結局よくなるということは、クライエント自身の貢献(この言葉を表面的にとると誤解をうむかもしれないが、本書に詳しく述べられている)大きな要素なのだろう(いざ膠着場面になるとこの要素は頭から抜け落ちる‥)。
・脱神話化・最良の工夫は、クライエントのリソースが湧き出てくるような文脈を創り出すこと・真の共同性と治療同盟(言い尽くされてきた概念だがやはり大事)・セラピストが自身の脈を測ること(メタファー。そこにはステップがある)・セラピストの経験は諸刃の剣/落とし穴、2025年夏の再読ではこれらの点をメモに残した。(2025年7月31日)
※この点はセラピストの所属や働き方によって随分異なるだろう。弊社/私の場合は、契約企業やEAPプロバイダーが主な支払い元となるため、このあたり明瞭である。